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■装用期間:1日使い捨て
■BC:8.6mm
■DIA:14.0mm
■カラー:ブラウン、ブラック、ライトブラウン、ダークブラウン、モーヴブラウン
■度数:±0.00、-0.50D、-0.75D~-6.00D(0.25Dステップ)、-6.50D~-10.00D(0.50Dステップ)
■含水率:42.5%
■中心厚:0.08mm(-3.00Dの場合)
■着色直径:12.8mm(モーヴブラウン)、13.0mm(ブラウン・ブラック)、13.2mm(ライトブラウン)、13.4mm(ダークブラウン)
■特徴:UVカット(UV-A 83%、UV-B 98%)、うるおい成分(MPCポリマー)配合
■製造販売元:株式会社アイレ
■医療用具承認番号:22600BZX00273A01
■区分:高度管理医療機器(台湾製)
■製造方法:キャストモールド製法
■着色方法:ラップイン構造

<カラーバリエーション>
1. どんなシーンでも使いやすい万能なブラウン
2. 最も瞳の輪郭をくっきりみせられるブラック
3. 優しい雰囲気になりながら瞳を大きくみせられるライトブラウン
4. 明るさのカバー範囲が広く、自然と大きな瞳になれるダークブラウン
5. 小さめの着色直径で、さりげなく優しい印象になれるモーヴブラウン

※眼科医院等にて検査を受けてからお求めください。

リングUV:2015年5月29日リニューアルしました
■旧製品との違い
・含水率38.6%→42.5%
 水分をより多く含む新素材を採用。なめらかなつけ心地に。

・うるおい成分の追加
「MPCポリマーが」うるおいのヴェールとなり、乾燥感の軽減が期待できます

・UVカット機能の追加
 レンズに紫外線吸収剤を配合し、眼に有害な紫外線(UV?Aを83%、UV?Bを98%)をカットします。


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<コンタクトレンズご購入に関する遵守事項>

●コンタクトレンズは高度管理医療機器です。取り扱い方法を守り正しくご使用下さい。
●眼科医院等にて検査・装用指導等を必ず受けて下さい。
●処方を受けられた眼科医院等もしくはお近くの眼科医院等にて定期検診をお受け下さい。
●眼に異常を感じたら直ちにレンズ使用を中止し、お近くの眼科医院等医療機関を御受診下さい。
●コンタクトレンズ使用に伴う医学的な眼のトラブルに関しては、当社では医療上の責任を一切負いません。
●遵守事項を確認し、安全で快適なコンタクトレンズライフを送りましょう。

広告文責株式会社ジー・ムーブ TEL:06-7739-0030
輸入販売元株式会社アイレ
区分海外製(台湾製)
高度管理医療機器
※当店は改正薬事法に基づいた法令遵守体制を実践しています。(「高度管理医療機器等販売業賃貸業許可証」取得、「管理者」資格取得、医療機器販売業の構造設備基準検査合格)

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2022/05/27

貝澤哉訳、光文社古典新訳文庫(2011)

《そのとき彼女は男を追い越し、あやうく車に轢かれそうになって後ろに飛び退くと、男の手にぎゅっとしがみついた。信号が青に替わった。男は彼女の肘を手探りでつかみ、一緒に道を渡った。『はじまった』クレッチマーは思った。『ついに狂気の沙汰がはじまったんだ』》p.45

 青信号が赤いので感嘆する。33歳のナボコフがロシア語で書いた初期作品なんだけど、手を替え品を替えのサービスが満載で、再読なのに舌を巻いた。初読のときよりいっそう面白い。なので以下の感想は結末まで触れます。

 ベルリン。裕福な美術評論家のクレッチマーは、貞淑な妻とのあいだにかわいい女の子もおり幸せな日々を送っていたが、たまたま入った映画館の暗闇で座席案内係をしていた若い娘、マグダにひと目ぼれしてしまう。よせばいいのに彼は危険な方向へ踏み出し――という始まりは、まあ、どこにでもある。連続ドラマのあらすじ説明がこんなだったら、ほかの番組に埋もれてしまうだろう。
 ところが、そんな三文不倫話をめぐるこの小説の進み方は最初から容赦がない。教養と金はあっても凡庸なクレッチマーがこっそり願望(凡庸な願望)を抱く過程をさっさと描き出したかと思えば、返す刀でこんどはマグダの生い立ちを手早く語りはじめ、彼女が早熟で外見に恵まれてはいても打算的で小ずるい、そして凡庸な16歳であることを、一切のもったいをつけずに明らかにしていく。
 ふたりの運命が、それなりの駆け引きとありそうな勘違いとあってほしくない偶然によって交錯していく様子をテンポよく説明していく語り口はくねくねしながら淀みなく流れ、こんなふうに複数の登場人物を動かして筋を絡ませていくのはテーブルに大小の食器を並べるくらいの簡単な作業だと言わんばかりの書きっぷりである。
 そのようなほとんど即物的な手つきでもって、クレッチマーの幸福な家庭生活はあっさり崩壊させられるのだが、そうなる途中にもこんな部分がある。クレッチマーがマグダのために住居を用意すると、彼女は意図的な不用意さで彼の本宅に「私、ご主人の愛人です♡」と丸わかりの手紙を出していた。最悪。クレッチマーは血相を変える。
《彼女は肩をびくっと震わせ、本を手に取るとそっぽを向いた。左のページには挿絵があった。グレタ・ガルボが鏡に向かって化粧しているのだ。
 クレッチマーにこんな考えがよぎった。『なんて奇妙なんだ――とんでもない災難がふりかかっているっていうのに、あんな挿絵のことが気になるなんて』。時計は八時二十分前を指していた。マグダは体をくねらせたまま、まるでトカゲのようにじっとしていた。
「きみはぼくを破滅させたんだ……。きみはぼくを」》p.85

 人生の危機的な重大事のまっただ中で、どうでもいい小さな物事に注意が向くこと。そして、そんな自分を冷静に見ている自分に気付くこと。それでも重大事は重大事のままであること。抜群の巧みさでストーリーを進めながら(つまり、作りものである小説を手際よく仕立てていきながら)、合間にこういった“些細だけど、本当のこと”をさりげなく挟んでみせるのは、過剰なサービス精神というか、嫌味なまでのうまさというか、いずれにせようなってしまう。
 さらに、いま「どうでもいい小さな物事」と書いた“マグダが、映画の大女優が載った本を読んでいる”姿は、じつは小説後半への布石にもなっている。だからこの部分は、この場面では「どうでもいい小さな物事」であり、小説ぜんたいとしては欠かせないピースでもあるというふうに、視点の置き方でくるくる変わって見えるし、さらにさらに、このような目の回る細部はここだけではなくあちこちに置いてある。

 とはいえこの小説は、発表当時だってすでに山ほどあっただろう不倫ドラマのてっぺんに、よくできたひとつの作例として飾られることをめざして書かれているわけではない。だいたい、ここまでで小説は1/4程度しか進んでいない。このあと、クレッチマーがマグダと夢だったはずの新生活を始めてから第3の主要登場人物が再登場して、それはホーンという名の風刺画家なのだが、なぜ登場かといえば、彼はマグダがクレッチマーに見初められるよりも前、彼女の初恋の相手だったからであり、豪奢な生活を送らせてくれる金づるとして利用するだけのクレッチマーと違って、マグダがただひとり真情を寄せるこの男の闖入から『カメラ・オブスクーラ』はベールを脱いでいく。
 マグダとホーンは結託してクレッチマーの陰で情事を重ね、クレッチマーはますます間抜けに見えてくるし、くわえて彼とその元家族を不幸が襲う。いっぽうでマグダの俗物っぷりも増していくから、「立派でもすぐれた人物でもないクレッチマーに、立派でもすぐれた人物でもないマグダがひどいことをする」のが小説の目的のようになってきて、自分は何を読まされているのか不安になるのと同時に、マグダとクレッチマーの両者をときに外側から観察するようなホーンの立ち位置がだんだん不思議なものに思えてくる。この男は小説のなかにいながら(登場人物である)半分は外に、または上に立っているようでもあり、三方がうまく収まるなんてことがありえるはずのないこのあとの展開で、彼もちゃんと泥仕合を演じるのか、それとも身をかわし続けるのだろうか……といぶかしくなるなど、クレッチマーがふたりにもてあそばれるように、読んでいるこちらの気持もこの小説に操られてしまう。
 そのようなコントロールのために小説が繰り出す手練手管は、まずは自在な視点の転換である。クレッチマーの側から、マグダやホーンの側から、さらにはどうでもよさそうな脇役の側から、とカメラを次々に切り替えて、周囲の様子や人の外見など目に見えるものと同じように、当の人物の内面にまでもピントを合わせ、まるで手に取っていろんな角度から観照できる物体のように映し出す。
 こういった“何でも見える”視点を振り回しながら、小説は真に異常な場面――クレッチマーは何も見えなくなる――を準備する。
 ホーンをまじえた3人で自動車旅行に出かけるという、思えば不自然すぎる状況で、ある偶然からクレッチマーはやっとふたりの裏切りに気付くが、直後、彼は失明してしまう(本当にひどい話だ)。スイスの山荘で、マグダは彼を献身的に介護するふうを装いながら、そこにこっそりホーンを招き入れる。外界のすべてをひとつひとつマグダに教えてもらって知るクレッチマーは、マグダの言葉をそのまま信じるしかない(以下、巻末の訳者による「解説」の一部をなぞる)。
《マグダは彼にその部屋の色彩をひとつ残らず描写してやった。青い壁紙、電気スタンドの黄色い傘――けれど、ホーンにそそのかされて、どの色もわざとちがう色に変えられていた――ホーンには、盲目の男が自分の住む小さな世界を、彼つまりホーンが言ったとおりに想像するのが愉快なことに思えたのだ。》p.299

 クレッチマーはこれまでもさんざんふたりからコケにされ、ひどい仕打ちを受けてきたあわれな男だったが、ここでとつぜん、読者は自分がそんな彼に重ねられていることに気付く。
 わたしたちはページの上に並んだ言葉をもとにして、それらの示す内容を想像しながら小説を読むけれども、言葉に先立って内容があるのではない以上、その言葉が何らかのウソであってもウソだと気付くことは原理的にできない。ここにホーンは「いない」と言われたら、それで「いない」ことになる――本当は「いる」としても!
 登場人物でありながら状況を外側から観察するようなホーンと、彼がマグダを通して創作する偽の現実(マグダとふたりきりで療養中)を本当のものと信じ込まされるクレッチマーの関係は、小説の作者と読者の関係に似てくる。盲人をいたぶって楽しむサディストが描かれているということ以上にこの場面がグロテスクに映るのは、小説を小説として成立させるうえで本来なら読者には隠しておかないといけないはずの舞台裏をあけすけに見せられているからだろう。
 ここの事情を訳者の「解説」はもっと丁寧かつ深いところまで教えてくれていて、それを読んだからこそ今このようなことを書いているのだけれども、わたしがさらにいっそうすごいと思うのは、そんなふうに小説の言葉と読者の問題にまで広がる構図を作中に作り出しながら、作者にも重ねられそうな権能をふるうホーンという男を、この『カメラ・オブスクーラ』はほかの登場人物より一段階抽象的なレベルに持ち上げたりはしないことである。小説はむしろ逆のことをする。クレッチマーの窮状を知った人物が山荘を突きとめ駆け込んでくる直前――
《その頃、ベランダのガラス戸をとおして陽の光が差し込む小さなリビングでは、クレッチマーとホーンが向かい合わせになって座っていた。[…]ホーンは小さな折りたたみの椅子に腰をおろして、真っ裸だった。庭や屋根の上で(そこで彼は、アイオロス[ギリシア神話の風の神]の琴を真似て風のように柔和なうなり声をたてていた)毎日焼いたおかげで、翼をひろげた鷲のような黒い胸毛のある、細身だが力強い彼の肉体は、黄色っぽいコーヒー色に染まっていた。足の爪は汚くてぎざぎざになっていた。彼はちょっとまえにキッチンの蛇口から頭に水を浴びたので、黒い髪はべったりと貼りついてつやつやとした光沢があった。突き出た赤い唇に長い草の茎をくわえ、毛だらけの足を組み、あごを片手で支えていたが、その手首にはマグダのブレスレットが光を放っていて、彼はクレッチマーの顔から目をそらさなかったが、クレッチマーのほうもじっと彼を見つめているように見えた。》pp.318-319*強調は引用者

 口の先から草の茎を伸ばした真っ裸の男性が乙にすましたポーズをとっているこの場面が、いったん読者(クレッチマー)に対する作者の似絵のような上位存在になりかかっていたホーンを、肉体を持った登場人物のひとりに引きずり下ろす。盲人をからかうために下着まで脱ぐホーンの腹肉には、きっと俗物・オブ・俗物と大書してある。
 ついでに言うと、ここ、ラストまで残り30ページ程度で姿を現わしたこの裸は、小説冒頭30ページ付近で垣間見えた別の裸ときれいに対をなしている。クレッチマーにもホーンにも出会う前、マグダは美術学校のモデルをして日銭を稼いでいた。
《こげ茶色の髪をショートにして素っ裸になった彼女は、カーペットのうえに横向きにすわって、ついた手をまっすぐに伸ばして体を支え――そのため肘のところには皺のよった優しそうな目玉ができていた――痩せた上半身をこころもち傾け、物思いに沈むような物憂げなポーズをとり、画学生たちが目線を上下させる様子を上目遣いにながめ、陰影をつける鉛筆が紙にこすれるかすかな音や、木炭のきいきい響く音に耳を澄ましていた――でもすぐに彼女は、今あの人は自分の太ももを写しているな、あの人は顔を描いているんだな、などと考えるのには飽き飽きしてしまって、たった一つの願いといえばもう、ただ姿勢を変えたいということだけなのだ。》pp.29-30

 盲目のクレッチマーから振り返って考えれば、ここにあるのはマグダの裸体ではなく、裸体を語る言葉だけである。読者が(わたしが)こんな記述からかすかに期待をあおられても、彼女の裸はぜったいに見えない。まったく当たり前のことだが、頭の片隅でそれを――小説が言葉でしかないことを――ひそかに残念に思いながら続きを読み進めていた読者の(わたしの)煩悩は、さっきの山荘まで来て全裸中年男性の丁寧きわまりない描写という報いを受けるのである。
 ホーンの《黄色っぽいコーヒー色に染まっ》た《細身だが力強い》裸が、このような言葉だけで本当によかったと軽薄な反省を促された。クレッチマーやマグダが凡庸な俗物だっただけでなく、ホーンも、読んでいるわたしも俗物であることを『カメラ・オブスクーラ』は突き付ける。

 小説はこのあと最後のひとひねりを迎え、クレッチマーにいくらかの同情をおぼえざるをえない読者の心を引きずり回してフィニッシュを決める。
 一片の容赦もない終わり方にまずは茫然としたあと、その次には、ここまでのすべてを造形している(言葉で造形している)『カメラ・オブスクーラ』の作者の存在が、いっさい見えずに言葉にもされないまま、こちらの意識にせり上がってくる。途方もない。のちのヴラジーミル・ナボコフは、この小説の出来ばえに不満だったという。途方もない。


■ ご参考
〈あとがきのあとがき〉「ナボコフから読者への挑戦状」貝澤 哉さんに聞く
  → https://www.kotensinyaku.jp/column/2011/10/005139/
 この小説の刊行によせて、光文社古典新訳文庫編集部が行ったインタビュー。
《こうした大衆映画の大流行のなかで、「小説はいかに延命できるか」をナボコフは考えていた。そしてまるで映画のような設定を取り入れながらも、まったく違った言葉でしかできない芸術世界を構築し、「どうだ!」と読者に提出しました。その一つが『カメラ・オブスクーラ』なのです。》

 なお、話のなかに出てくる『引き裂かれた祝祭 バフチン・ナボコフ・ロシア文化』(論創社)でナボコフに関する文章は最後の1/5くらいだが、そこでは、ナボコフをすぐれた虚構の作り手として仰ぎ見て、すすんでその掌に乗るような読み方への注意喚起が繰り返しされており、また反省させられたが、もうここまで書いてしまった。
 そしていちばん具体的にナボコフ作品を論じた(『カメラ・オブスクーラ』も大いに触れられる)文章は、ここで公開されている。とても面白い:

貝澤哉「暗闇と視覚イメージ-「ナボコフ的身体」の主題と変奏-」(2003)
 (まとめ) アジア原紙 ファックス・PPC原稿用紙 B4判 GB4F-4HR 100枚入
《「ナボコフ的身体」というようなものが仮に想定できるとすれば、それは視覚を奪われた盲目の身体である。このように考えてはじめて、ナボコフがなぜあれほど、視覚的な芸術や視覚的モチーフに執拗にこだわったのか、理解できるようになるだろう。》



■ 追記:
『カメラ・オブスクーラ』やナボコフ作品で特別に、というのではなく、広く小説一般でわたしがどうしようもなく惹かれる展開(個人的なツボ)がこの作品にもあった。
 不倫がまだ家族に知られていなかったころ、赤いドレスをまとったマグダがクレッチマーひとりのときを狙って家まで無理やり押しかけ、傍若無人にふるまう。いつ家族が戻ってくるかびくびくもののクレッチマーは、彼女のいたずらで一室に閉じ込められてしまう。弱り切ったところで鍵を開けたのは、急に来訪した義弟。クレッチマーがとっさに「泥棒に入られた」とごまかしたため、ふたりで全部屋を見て回ることになる。
《二人が書庫のなかを通り抜けようとしたとき、クレッチマーは突然目の前が真っ暗になった。というのも書棚と書棚のあいだ、回転式本棚の背後から、真っ赤なドレスの裾が覗いていたからだ。》p.69

 クレッチマーはもう気が気ではない(読者の心臓にも悪い)が、そこに家族が客を連れて帰ってきたから、マグダを逃がすどころか書庫へ行くこともできない。
《かつて見たなかでもとびぬけて恐ろしい夢が、終わりなくずっと引き延ばされているように思えた。》p.70
《彼には、自分たち全員が――[…]――どういうわけかたえず家じゅうを徘徊して、マグダがするりと脱出できないようにしていると思えた》p.71

 ……時計の針の進みが拷問のように遅く感じられただろう数時間が過ぎ、帰る者は帰って、ほかの家族も眠る。
《あたりはすっかり静まりかえり、まるでなにかが待ち構えているようにひっそりとして、そのうち静けさ自体が耐え切れなくなって今にも大声で笑い出すんじゃないかと思えた。》p.71

 文章のうまさを見せつけすぎだがそれはともかく、大変な困難をクリアして恐怖は消え去り、だからこそ、震えるほどの幸福感にクレッチマーは包まれる。それは想像できなくもない。
《彼は書庫のドアをそっと開けて電気をつけた。「マグダ、正気じゃないよきみは」彼は熱っぽくささやいた……。それはひだ飾りのついた赤い絹のクッションで、書棚の下のほうに入った大型本を床の上で見るために、彼自身がついこのあいだ持ち込んだものだった。》p.72

 ここでバッサリこの章は終わる。この、いると思っていた人物が、じつはいなかったとあとからわかる展開が、なぜかわたしの琴線を鷲掴みにする。何なんだろう。それでずっと前にこんなメモをしていたのもおぼえているんだから、ほんと、何なんだろう。
「いる」と思っていた存在は、その時点では、想像ではなく実在していた(クレッチマーにとって、目の前に義弟が「いる」のと同じく書庫にはマグダが「いる」)。そんな存在は、あとから「いなかった」とわかっても、さかのぼって消えたりはしない。それどころか、「いなかった」とわかったために、その「いる」だった存在は――実際にはいなかったんだから「いた」存在に変わることもなく、「いる」だった存在のまま――「いなかった」現実から切り離されて、独自の「いる」を続ける。そんな感じかと思うが、もうちょっと意味の通じる説明ができるようになるまで、メモだけはしておく。

2021/08/21
旺文社文庫(1981)

《翌朝私は起きるとすぐ物干竿を舁[かつ]ぎ出して、その尖[さき]に出刃包丁を縄で括[くく]りつけた。
「何をなさるのです」と妻がきいた。
「猫を突き殺す」と答へて、私はその竿を抱いて縁の下に這ひ込んだ。》「鵯」p92

 旺文社文庫の百閒随筆、5冊めだった。上の「鵯[ひよどり]は、ちくま文庫の集成だと9巻の『ノラや』に入っているらしい(未見)ので気になる方は読まれたい――って、「ノラや」といっしょに入れられているのにもギョッとする。編者の思う壺だ。ほかに平凡社ライブラリーの『百鬼園百物語』でも読めます。これはうちにあるから確実。

「おかしな理屈」「見事すぎる描写」「見事すぎる描写による、記憶の再現/創造」はわたしが百閒の書くものに求める三大ポイントだが、それに引っかからなくても面白いものはやはり面白いので、分類や整理をこころみてもあんまり意味はない、と読むほどにますます・あらためて思い知らされて安心する。この「安心」を四つめのポイントにしていいかもしれない。以下、引用文中の太字下線はすべてわたしによるものです。

 非常に理屈っぽい百閒は、規則と人情なら間違いなく規則の側につく。そういう人間として自分を書く。しかしその規則への「つき方」が厳格なために、規則のほうにひずみができて見える。
「正直の徳に就いて」では、知人の「甘木君」がやって来て不満を述べている。妻の祖母を見舞うため会社を休んだら、後日、専務から皮肉めいた小言を云われてしまった。百閒の返事は、会社の立場からすればそれは当然だ、というもの。しかし自分の行動のほうが道徳にかなうと考えた場合はどうすればいいのか、と甘木君。百閒、だったら自分の気が済むようにふるまう代償を会社に払わなければならない、すなわち、自分が病気になったと届ければいい。
《「嘘を云ふのですか」
「一方の、義理を果たすと云ふ徳を充たす為には、君の立ち場では正直の徳を捨てなければならない」
「僕は嘘をつくのはいやです」
「さう慾張つて、二つの美徳を共に完[まつた]うする事を考へてはいけない。」》

《「自分一人が嘘言者になつて、その不徳に甘んずれば、規律を紊[みだ]さず、人情にも背かず、又実際はその嘘にだまされる者もゐないでせう」
「それではだれに嘘をつくのですか」
騙されるのは規則です」》p53

 規則と理屈に従って話を進めるうちに、それらが一瞬、人格をまとって見えるのではなく、ここは擬人化せずに読みたい。規則そのものが騙されることも起こりえる、というところまで進むことができるのは理屈だけだからである。
 このあと、《「節倹と云ひ正直と云ひ、美徳に違ひないが、それを行ふに貪婪であつてはいけない」》(p54)という名言が続くのだが、百閒じしんはと言えば、嫌なものに対する「嫌」には絶対に正直だった。
「五段砧」で百閒は、新聞社だか雑誌社だかから、琴を弾いているところを写真に撮りたいと求められ、ひたすら嫌がって断わる理屈を言葉にしていく。先方は、勝手に琴を弾いてくれればいい、「その方が自然の姿の写真が撮れる」と説得する。それに百閒はいちいち反論する。
《自分は今写真に撮られてゐると云ふ事が忘れる事が出来るかと考へて見るに、それは一層むづかしい。どんなところを写されても構はないと云ふ悟達は、抑[そもそ]も写真を写して貰ふと云ふこつちの気持と両立しない。》p134

《現に目の前に写真を取りに来た男が二人もゐるのに、その事を忘れて琴を弾けと云ふのは無理である。それから写真を撮られると云ふ事はどうしても私の念頭を去らない、と私が云つた。》p136

 先方が強調する「自然の姿」こそ百閒が最も疑っているものであり、その疑いはさらに進んで、運動の「瞬間を切り取る」ことへの不審につながっていく。
《今日のところは、写真にだまされたと思つて、兎に角自分達の云ふ通りにして写つてくれと又先方が云つた。さうすれば琴を弾いて居られる或る動作の瞬間を写し取つて、本当に自然の姿が写真に出るのです。
 その、或る瞬間を撮ると云ふ事に疑義を懐[いだ]いてゐる、と又私が云つた。私は舞踊の写真を見る事を好まない。どうかすると或る姿態を見つめてゐる内に、胸のわるくなる様な気がする事もある。踊りは運動であるから時間に乗つて続く筈の或る瞬間を切り取り、その時の姿だけを写真に固定したものを眺めてゐると、不安な気持になるのである。笛で吹く節のどこかいいところを一音だけ、ここがいいのだと云つて何時[いつ]までもぷうぷう吹き続けられては堪らないのと同じ理窟である。どうせ写真に撮られるなら、寧ろ琴の前に静止してゐる姿勢を撮つて貰ひたいと重ねて云つた。》pp136-7

 これはインタビュー記事ではない。この文章のなかで、百閒じしんの考えはもちろん、百閒を説得しようとする側の言っていることも百閒がひとりで書いており、そして結局は写真を撮られてしまう。嫌だったのは本当だろうが、百閒、なおかつ楽しんでもいたんじゃないかという気がちょっとする。
 それにしてもこの写真への念入りな疑いは目を引く。この本には、映画、もとい活動写真の撮影を見学に行く話もあった。「狸気濛濛」というのがそれで、現場で同じシーンを俳優に何度も繰り返し演じさせては撮り直すのを、百閒は「そういうもの」と受け入れず、わざわざ描写したうえで「むしやくしや」「いらいら」してみせる。最後に主演の男女と記念写真を撮る段になり、四方から強い照明を浴びせられる。
[…] 気がついて見ると、大きな写真機の筒口が、短銃のやうに私の方をねらつてゐる。その筒口に私を写し取らうとする先方のたくらみが凝固してゐるのが目に見える様な気がしたから、私は油断なくその方を睨[にら]み返して身構へた。》p59

 ここでも、写真に対する警戒心が尋常ではない。いまのは1930年代の文章だが、戦後の「阿房列車」シリーズのなかでも百閒は、記者の取材を受ける際のマイクやテープレコーダーに対する強い違和感をいちいち書き留めていた(たとえば10%OFFクーポン対象 メール便送料無料 LOGOS ロゴス ペグハンマーキャリーバッグ 71996523)。
 蓄音器だって聴いていたし、活動写真もよく観ていたのだから、そういうものが「ある」のは当たり前になっていても、自分が撮られたり録られたりするのには(そして他人であっても、撮られた作品ではなく撮るプロセスには)まるで馴染めなかったらしい百閒の、記録するメディアに対する疑いや「油断できない」という気持を、それらのメディアが空気のように行き渡っているいまの時代から想像するのは難しい。それでも、写真や録音された音声が、この人にとって、いまのわれわれとはかなり違った見え方・聞こえ方をしていたのはかろうじて想像できる。だが、どう見えてどう聞こえていたのか、それは分かりようがない。「無気味」「不安」といった言葉が繰り返されるだけだ。
 同時代人でも写真に撮られ慣れ、とくに違和感を持たなかった人だってたくさんいただろう。そこからの偏差としてでも百閒の警戒心や見え方・聞こえ方に近づいてみたいので、メディア史というか、メディアの受け取られ史みたいな本を読んでみたくなったからここにメモしておく。

 この『凸凹道』の前に出た『鶴』の後半には郷里岡山の回想がたくさんあった。似たようなものはこちらにもある。「水心」で描かれる子供時代、大きな河の岸から中洲まで、板と杭だけの簡単なつくりの橋が架けられて、それを友達は平気で渡っていくのに百閒少年は怖くてたまらない。ついに途中で往生してしまう。
[…] 少し身体をかがめて、橋桁の横木の上に大分のぞいてゐる杭の頭をつかまへた。さうして向うの板に移つたけれど、杭の頭から手を離した後も、怖くて身体をもとの通りに真直ぐにする事が出来ない。そのため自然に目の下を流れてゐる水を見たので、一足二足踏み出すか出さないかに急に自分の足許が流れて行く様な、又反対に頭が上手[かみて]の方に、ふうと浮いて行く様なへんな気持になつて、身体ぢゆうが石の様に固くなり、固くなつたままでがたがたとふるへ出した。それからもう後は解[わか]らなかつた。友達が来て無理に引つ張つてくれたのだらうと思ふ。
 その時の事が夢に入つて、今でも時時進退に窮し、呼吸も出来ないと云ふ様な気持になる。夢の中では色色の形になつて現はれるので、何十年も過ぎ去つた今、遠い記憶をたどつてゐると、その板の上に起[た]ち竦[すく]んだのも、或はいつかの夢を取り違へてゐるのではないかと云ふ様な気もする。》p36

 少年時の「へんな気持」をこれだけ再現(創造)するのもすごいし、なにより、強い感情をともなった記憶が夢のなかに現われ、何度も身を浸しているうちに夢と記憶の区別がつかなくなっていく――というのは百閒の短篇のさらにミニチュアを見ているようだ。
「銘鶯会」では、大人になった百閒が日暮里まで鶯の鳴き声を聴きに行く。「鶯の会」といった町をあげてのイベントだったらしい。そんな会のレポートしてさらりと書かれているようでありながら、ときどきびっくりさせられる。
《廊下の曲がつた奥にある大広間に鶯の会があつて、両側には羽織袴の人がずらずらと列[なら]び、私もその中にゐて、そはそはしてゐるところへ、一寸[ちよつと]と云つて何人[だれ]かが呼びに来たので、起[た]つて行くと、なんにも置いてない、身の締まる様な部屋に私だけ一人坐つて、今、鶯が啼くところだと云ふ事が解つた様な記憶があるので、考へて見たらそれは去年の今頃見た夢である。本当の方は、当日町内の方方[はうばう]の家の玄関の間や、庭から廻られる座敷などを借りて、一軒うちに一羽づつ鶯が置いてあるのである。》p163

(1)実際参加したイベントのことを(2)後日思い出しながら書き留める、という過程のどこに、太字にした部分が挟まれる隙間があったのか。つまりは冗談ということになるのかもしれないが、つなぎが滑らかすぎて二度見せざるをえない。
 そのあとも、ある一室で飼桶をセットしたおやぢと百閒のふたりが不自然に抑えた声でひそひそ話しながら鶯の啼くのを待っている様子(「啼きませんね」「今すぐ啼きます」)が綴られる。この気詰まりな状況をユーモラスに書くのが眼目なのだから、もちろん、鶯はいつまでも啼かない――のだけど、それでは鶯に悪いと思ったのか、続く「続銘鶯会」の最後で百閒は、言葉を尽くして小さな鶯を啼かせてみせる。
《私が縁側に近づいて、腰を掛けようとする時、不意に一陣の風が吹き過ぎて、あわただしい気持がしかけた途端、どこか近くの屋根に竹竿の様な物が倒れかかつて、瓦をこすつて地面に落ちる音がした。丁度鶯が中音を啼きかけてゐた時なので、はつとすると同時に鶯はその物音で啼き止んだものと思ひかけた私の仰山[ぎやうさん]な気持にかかはりなく、静かな音品で結びを歌ひ終る銘鳥の声が、向うの座敷のほの暗い隅から飼桶の障子を通して薄曇りの庭に流れ出るのを聞いた時、私はかすかな戦慄を覚えた様な気がした。》p168

 なんだこの文章。言葉の連なりに乗せられ、目は抵抗なく最後の読点まで行きついてしまうが、つながりがどこかおかしい。2文めのせめて1ヶ所だけ切れば、これはふつうの名文になると思う。
[…] 丁度鶯が中音を啼きかけてゐた時なので、はつとすると同時に鶯はその物音で啼き止んだものと思ひかけた私の仰山[ぎやうさん]な気持にかかはりなく、静かな音品で結びを歌ひ終る銘鳥の声が、向うの座敷のほの暗い隅から飼桶の障子を通して薄曇りの庭に流れ出た。私はかすかな戦慄を覚えた様な気がした。

 これと比べると破格であるはずのもとの文は、しかし、目で追っていくぶんにはするすると読めてしまう。
[…] 丁度鶯が中音を啼きかけてゐた時なので、はつとすると同時に鶯はその物音で啼き止んだものと思ひかけた私の仰山[ぎやうさん]な気持にかかはりなく、静かな音品で結びを歌ひ終る銘鳥の声が、向うの座敷のほの暗い隅から飼桶の障子を通して薄曇りの庭に流れ出るのを聞いた時、私はかすかな戦慄を覚えた様な気がした。》p168

 読めてしまうからそのまま進み、一文が切れないままで《[…] を聞いた時、私は》と主語が追加されるために文章があたらしく折り返され、そこに「え、いまなんつった?」と二度見するポイントがあるが、そのとき目は文末までゴールしてしまっている。だから正確には、ゴールするのと同時に「え、いまなんつった?」が発生して読み直し、その「え、いまなんつった?」のタイミングでちょうど鶯が啼いていることにもう一度気付かされるのである。わたしはもとの文章のほうに戦慄を覚える。なんなんだこの文章。

 で、そろそろこの『凸凹道』で最高の文章について書きたい。それは「櫛風沐雨」というもので、「しっぷうもくう」と読む。「風雨にさらされて奔走し苦労する」という意味だそうだが、いままた読み返して(16ページしかないからすぐ読める)困ってしまった。なんだか引用のしようがないのである。
 発表は1935(昭和10)年だから執筆もそのあたりだろう、四十代の後半になっている百閒が20年くらい前の回想をしている。軸になるのは十代以来の友人“山部”との付き合いで、大学は出たが病気で生活が思うにまかせない山部のもとを、大学は出たが職はなく、これも生活が思うにまかせない百閒がたびたび見舞って世話を焼く。青春の残光のような友情。やがてそれぞれ生活が安定し、それぞれ家庭を構え、京都に移った山部のもとを何の用事もない百閒がしょっちゅう遊びに訪れる平和な数年が続く。やがて百閒のほうは借金がかさみ、生活も破綻した苦しい時期を迎えるが、山部との付き合いは趣を変えながらも途切れることはなく――という浮き沈みの20年あまりをたどった文章に百閒がみずから付けたタイトルが「櫛風沐雨」なのである。が、しかし、こんなふうに紹介したからなんなんだという気が猛烈にしてくる。
 山部が療養している三崎のお寺に向かった日の出来事としてはじめに詳しく思い出されるのが人力車の車夫とのやりとりであることや、山部の結婚相手を紹介された夜に帰り道がわけもなくおそろしげに映った様子(本当に理由がない)、窮乏してなけなしの六銭を電車賃にあてるか蕎麦代にあてるか悩む真剣さや、十銭だと思って手に取った煙草が十二銭だとわかった瞬間の焦躁など、どれもこれもサラサラと書き流されるようで(20年を16ページ)いて、どのエピソードも、いまこうやって書いておどろくくらい印象が鮮やかである。
 それでもなお、そのぜんぶがやはり「サラサラと書き流されているかのように読める」ところがこの文章いちばんの肝だから、こればっかりは引用するより実物を読む・読み返すしかない、という当たり前のことを何度も繰り返し言いたい。ちくま文庫の集成では5巻『大貧帳』に入っています。
(なお、電車賃にも事欠く百閒が原稿を売るために雑誌の編集所を訪ねて同類の人間と待合室で鬱屈した時間を送る、その雑誌があの博文館「新青年」である、という話もここに出てくる)
 と、このように書いておきながら、やっぱり1ヶ所だけ引用してみる。先の見えない青年期の終わりと、ひたすら苦しい窮乏時代とのあいだに一瞬だけあった凪のように回想される、京都の山部宅での夕べである。
《晩飯の用意が出来たと云ふので、茶の間に下りて行くと、山部が先に坐つてゐて、
「酒を飲むのか、酒はよせよ、まあいいさ、あんまり飲むなよ」
「いいんですよ内田さん」と山部夫人が台所から云つた。「もう猪口[ちよこ]もお隣りから借りて来て、用意してありますわ」
「麦酒[ビール]ならいい、麦酒なら飲んでもいいが、二本で足りるだらう」
「うまかつたら、請け合へない」
「あら、麦酒もいつか伺つた朝日の生詰を三本買つて来て、もうバケツに漬けてありますわ」》p182

 ここだけ抜いてもどれほど伝わるか心もとないが、今回のこの感想文の最初にわたしは「百閒は、規則と人情なら間違いなく規則の側につく」と書いたし、百閒だって訊かれればそう答えたと確信するいっぽう、そういう人でないと捉えられない三者の細かい感情のやりとりがくっきり焼きつけられているのが例えばこういうところだと思う。そのような機微をすべて台無しにする言い方をすれば、百閒が好感を抱いていた女性を描き出す筆致は、いつでもわたしのツボである。
 ついでに書くと、わたしは前述のちくま文庫『大貧帳』をそれこそ二十代半ば、「櫛風沐雨」冒頭の百閒や山部と同じくらいの歳で読んでいるはずなのに、今回読み返しても、まったくおぼえていなかった。なんだか不思議な気持がして、束の間、その当時からいまに至る短くない時間に思いを馳せそうになったうえ、だれにでもそれぞれの櫛風沐雨があるのかも――などとへんな方向に進みそうになったので、最後に毛色の違うものに触れる。
 巻末に近い「鶴の二声」は、この本の前に出した『鶴』に寄せられた不評への反論である。旧知の相手から「少々種切れのようだ」と腐されて、百閒は真っ正面からこう答えている。
《材料で話を進めるのは前座のする事だと小生は考へてゐる。種を早くみんな吐き出してしまはなければ本当のものを作り出せないと考へてゐる。》p192

 これだけ読んでも格好よく、ここまでに収められた文章を読んだうえだとなおのこと、この答えは正論オブ正論と映る。しかし真に興味を引くのはここよりもうちょっと前である。
《かうして朝から晩まで作文に専念してゐると、一篇毎[ごと]に上達して行くのが自分で解るやうな気がする。又さうでなかつたら張り合ひがなくなつて続けるのもいやになるだらうと思ふ。「鶴」を前の無絃琴百鬼園随筆に比べて、通つて来た後を振り返つて見ると大変に上達してゐる事を自認するのである。のみならず「鶴」になつて、自分の歩いてゐる道の方角が大分はつきりして来た様な気持もする。矢張り小生の道はすべて旅順口に通じてゐる様である。「鶴」も旅順に通ふ道の一つであつて、比較的に道幅も広く、日なたである「旅順入城式」に通つた嶮路ではなささうだが、「鶴」の道を行けば同じ所に出られるらしく、旅順口を取巻く山山がもう向うに雲の様な姿で現はれかけた様に自分で思つてゐる。もう一息か二息で、文章上の種とか材料とかが無くなつて来れば、行程はいよいよ捗[はかど]るものと考へる。》pp191-2

 筆が滑るのを自分で面白がっているような書きぶりであるけれども、『鶴』の先にも『旅順入城式』があるとの自覚をもってものを書いているのだとこんなにきっぱり言葉にしているのには、読者として意外といえば意外だし、当然だろうといえば当然だろうという気もしてくる。1922(大正11)年に『冥途』を世に出した百閒が、続く『旅順入城式』をまとめるまでには12年かかっており、その「序」には「昭和九年一月」とある。
[…] マタ十年筆ヲ齧[か]ミ稿ヲ裂キテ僅カニ成ルトコロヲ本書ニヲサメ書肆ノ知遇ヲ得テ刊行スルニ際シ文章ノ道ノイヨイヨ遠クシテ嶮[けわ]シキヲ思フ而已[のみ]『冥途・旅順入城式』(旺文社文庫)p110

「鶴の二声」が書かれたのはこれのちょうど1年後くらいだった。両者に共通する“険しい道を行く”というレトリックから――よくある表現であることはもちろんとして、それでも――この人がめざした、そして本人にはわりとはっきり見えていたらしい旅順が、どこにあるどんな境地のことだったのか、『旅順入城式』と『鶴』をあわせて考えると、そのイメージはほんのわずかな細部だけクリアになり、残りの大部分はかえって茫洋としてくる。
 それでまた「旅順入城式」をめくってみると、書く側にとっての目的地はともかくとして、読むこちらはどこへ連れて行かれるのだろうと何度目だか分からない不安をおぼえるばかりなのだった。
《旅順を取り巻く山山の姿が、幾つもの峰を連[つ]らねて、青色に写し出された時、私は自分の昔の記憶を展[ひら]いて見るやうな不思議な悲哀を感じ出した。何と云ふ悲しい山の姿だらう。峰を覆[おほ]ふ空には光がなくて、山のうしろは薄暗かつた。あの一番暗い空の下に旅順口があるのだと思つた。「旅順入城式」p230

 次は『有頂天』です。


■ 旺文社文庫『凸凹道』(1981)目次:
忙中謝客
離愁
柳暗花明
小さんの葬式
官命出張旅行
門衛
初泥
水心
箒星
志道山人夜話
寄贈本
署名本
正直の徳に就いて
狸気濛濛
明暗交遊録
窓前
苗売り
豫科時代
敬礼
大瑠璃鳥
御時世
凸凹道

非常汽笛
他生の縁
拝接
猪の昼寝
暗闇
裸安居
阿房声
八段調
五段砧
芥川教官の思ひ出
雷魚
百鬼園日暦
簾外
銘鶯会
続銘鶯会
可可貧の記
櫛風沐雨

  雑爼
 ソノ心事ノ陋劣ナル歟
 鶴の二声
 春琴抄の放送
 谷崎潤一郎氏の送假名法に就いて
 恐しいか恐ろしいか
 雨の念佛
 純粋言語の説
 学生航空の発向

解説 桶谷秀昭
「凸凹道」雑記 平山三郎

■ 平山三郎の「凸凹道」雑記を読むと、「櫛風沐雨」の“山部”は仮名で、モデルは中島重という人だと書いてあった。関西学院大学教授、ともあるのでためしにググったら、ずいぶん立派な人だった。 中島重(関西学院事典)
 あとはまあ、ウィキペディアだが、ますます立派な人だった。
2020/09/16
旺文社文庫(1981)

 ごく短い「鶴」を最初に置いたこの本は、次にそれよりは長い「長春香」が続き、そのあとタイトルのついた文章が34篇収められているのだけど、読み進め、また読み返しているうちに、ぜんぶの文章のあり方が「鶴」「長春香」で示されていたように思えてきた。そのことを書く。

 3ページしかない「鶴」は、随筆のように始まる小説である(ちくま文庫の百閒集成では『冥途』の巻に入っている)。
 ぜんたいは、「私」が晴れた日に無人の庭園で鶴に追いかけられる話、ということになるのだが、まともにこっちの顔を見てくる鶴に迫られることと、何かを思い出すことが、なぜか、しかし当然のように重なって「私」を脅かす。
《私は近づいて来る鶴に背を向けて、なるべく構はない風を装[よそほ]ひつつ、とつとと先へ歩き出した。
 急にいろいろの事を思ひ出すやうな、せかせかした気持がして、ひとりでに足が早くなつた。その中には、既に忘れてしまつた筈[はず]の、二度と再び思ひ出してはいけない事までも、ちらちら浮かび出して来さうであつた。小さな包みを袂[たもと]から出して、渡し舟の舷[ふなべり]にそつと手を下ろし、川波がきらきらと輝やいて、その中にむくれ上がつた様な大きな浪[なみ]が一つ、舟の腹に打ち寄せて来た。何年経つても、起[た]ち上がつた拍子に、或は坐[すわ]つた途端に、ありありと思ひ浮かぶのである。鶴の足音が聞こえて来た。そんな筈はない。その時もう私は馳け出してゐて、芝生の草の根に足をすくはれ、向脛[むかうずね]をついて、前にのめつた頭の上を、さはさはと云ふ羽根の擦[す]れる荒荒しい音がして、鶴が飛んだ。》pp9-10 *以下、すべての下線・太字は引用者

 下線を引いた《何年経つても、起ち上がつた拍子に、或は坐つた途端に、ありありと思ひ浮かぶのである。》は何のことを言っているのか。これがよくわからない。

(1)鶴に追われる「私」がここで思い出しそうになっている(同時に思い出してはいけないとなぜか事前に判断を下している)事柄は、それまでにも何度となく、ひょんな拍子にありありと思い浮かんできたことだったのだ

と書かれているのか、それとも、

(2)鶴がきっかけで何かを思い出しそうになった「私」の舟に大きな浪が打ち寄せて来たという体験が、時を隔てた今、そのことを書いている「私」の頭に何年経っても思い浮かぶのである

と書かれているのか。
 つまり、《何年経つても、起ち上がつた拍子に、或は坐つた途端に、ありありと思ひ浮かぶのである。》という一文が、(1)鶴に追われる出来事の中にあるのか、(2)外にあるのか、何度読んでもどちらなのか位置が定まらない、というふうにわたしは読んでいる。
(おそらく、この一文を、引用した部分の最初のほうにある《急にいろいろの事を思ひ出すやうな、せかせかした気持がして、ひとりでに足が早くなつた。》に引きつけて読めば(1)のように見え、後ろのほうの《そんな筈はない。その時もう私は馳け出してゐて、芝生の草の根に足をすくはれ、》に引きつけて読めば(2)のように見えるのだろう。でも、ずっと考えていると逆であるような気もしてくる)

 しかし、わたしは思うのだけど、思い出すという行為には、というか、思い出したことを書くという行為には、こういった、どの時点のことなのか不明な部分がしょっちゅう、取り除きようもなく、紛れ込んでくるのじゃないだろうか。
 
 過去にあったことを思い出して、文章にしたためる。思い出される内容は過去にあったことで、思い出すという行為は、書いている時点でおこなっていることである。
(この「書いている時点」を「現在・いま」とする。その文章をわたしが読んでいる時点もそれと同じ「現在・いま」である。わたしが読むたびに、文章はその都度書かれている。そう考える)
 もう一回。
 過去にあったことを思い出して、文章にしたためる。思い出される内容は過去にあったことで、思い出した内容を書くという行為は現在おこなっていることである。
 それはそうだ。そのはずだ。それはそのはずなんだけれども、思い出した内容にかたちを与える言葉・文章というものは、過去と現在をそれほど画然とは区別できない。加えて、思い出される過去は繊細な小動物みたいなもので、それを書きたい者の手で隅っこから引っぱり出そうと触れられた途端に固くなったり熱くなったり、もとの格好のままではいない。
 それで思い出を文章にすると、その文章には過去と現在が含まれてしまう。「含まれてしまう」などと書くと大仰だが、「過去」にあったことを「いま」思い出すという単純な物言いのなかにもふたつの時間が入っている。過去の出来事は、思い出されたことによって微妙に変わっている。
 とはいえ、そこを無視することだってできる。年表のように、思い出した過去の事柄だけを動かない事実として並べていくことで、過去は過去として、現在とは切れたむかしのこととして書くこともできるし、そのように読むこともできる。「こともできる」というか、たいていの回想はそういうものとして通用する。そんな書き方と読み方が便利なことも、そんな書き方と読み方が必要とされることもあるのはわかる。
 だけどそうしない人もいる。過去のことをいま思い出しながら、思い出したことを文章にしながら、その「思い出す」というおこないについても文章にする。思い出そうとする働きかけが思い出される内容を変えてしまうことにも触れて書き足す。さらには、思い出された内容によって、思い出している現在の自分のほうが影響を受け変わってしまう、そのいきさつじたいも書き加える。そんな人もいる。
 さきほど「鶴」から引用した部分の最後、《鶴が飛んだ。》のあとはこう続く。
《長い脚がすれすれになる位に低く、茶畑の上を掠[かす]めて、向うの土手の腹にとまり、そこから羽ばたききしながら土手の上まで馳け上がつて、れいれいと鳴き立てた。
 その声が、後樂園を取り巻く土手の藪にこだまして、彼方[あちら]からも、こちらからも、れいれいと云ふ声が返つて来た。
 私は身ぶるひして起き上がり、裾[すそ]の砂を拂[はら]ひもせずに、辺[あた]りを見通すと、池はふくらみ、森は霞んで、土手の上の鶴の丹頂は燃え立つばかりに赤く、白い羽根に光りがさして、起つてゐる土手のうねりが、大浪の様に思はれ出した。》p10

 ここで《身ぶるひ》している「私」は、思い出された過去の中の「私」なのか、思い出している(そして書いている)現在の「私」なのか。そこは区別できるんだろうか。そもそもこれは、思い出された過去の出来事なのか、思い出された過去の出来事として創作されたことなのか。そこは区別できるんだろうか。
 これは創作だし、回想を装っているふうでも創作であるのだし、その創作の中で語り手兼作中人物の「私」が《身ぶるひ》しているだけなのだと、そう言い切ろうとしても、その「私」が何かを思い出しそうになっているという一点で、書いている現在の「私」とのつながりができてしまう。そのつながりは明確でないだけに断ち切るのがむずかしい。それで作中の「私」の動揺は、書いている「私」にまで波及して、書かれる「私」のまわり全体がぐらつき始める。
《柄[え]の長い竹箒[たけばうき]を持つた男が、私の後に起つてゐると思つたら、矢つ張り鶴であつた。爪立[つまだ]てするやうな恰好[かつかう]をして、いつまでも私の顔をぢつと見つめた。
 足もとの草の葉も、池に浮かんだ中の島の松の枝も、向うの森の楓[かへで]の幹も、みなぎらぎらと光り出した。川波に日が射して、眩[まぶ]しい中に一ところ気にかかる物がある。川下の橋から傳[つた]はる得態[えたい]の知れない響きが、轟轟[がうがう]と川の水をゆすぶつてゐる。》p10

「私」が《身ぶるひ》していることだけは確かで、「私」が《身ぶるひ》していることがすべてだと思う。百閒の書くものが小説と随筆のはっきりしないあいだに立っているように、ここでの「私」は、書かれている時点と書いている時点との、はっきりしないあいだに立っている。文章の流れが、自然と「私」をそんな境目の見えない境目に運んでしまう。

 わたしは、この短篇で「私」を不安にさせて急に飛び立つ鶴が、不随意によみがえって「私」を脅かしながら眩惑する記憶なるものの象徴であるだとか、「片付けすぎ」なことは言わないようにしよう(だってわたしはそんなふうには読んでいないのだから)というつもりでここまでを書いてきたのだったが、読み返すと、なんだかいかにもそんなことを言おうとしている感じの文章になっているようで心配である。そう見えるなら、わたしはそう読んだのかもしれない。
 だとするとちょっと残念だが、言いたかったのはこういうことだった――『鶴』は回想の本で、その回想が独特で面白い。22字で済んだ。以下は引用。


「漱石先生臨終記」は、青年時代から「先生」と崇めた漱石との付き合いをあれこれ綴ったものである。家を訪問できる関係になってからのいつだったか、漱石が何かの病気で寝込んでいると聞いた百閒はお見舞いに行ったが、そんなに会話が弾むわけでもないので困ってしまう。
《私の方でつまらないから、もう帰らうと思ふと、今度は、先生が黙つて寝てゐるから、その潮時がないのである。やつと機会を見つけて、「失礼します」と云つて起ちかけた時、ふとさつき門の前で、子供が鬼ごつこをしてゐたのを思ひ出した。私は東京の子供の遊び言葉をよく知らなかつたので、不思議な気がしたから、先生に聞いて見た。
「大勢電信柱につかまつて、がやがや云つていましたが、何と云つて遊ぶのですか」
「いつさん、ぱらりこ、残り鬼と云ふのだよ」と先生が枕の上で節をつけて云つた。
 もう一度「失礼します」と云つて、病室を出てから、廊下を歩きながら、私は口のうちで、繰り返した。病床に寝て、独りで天井を眺めてゐる先生も、さつきの口癖で、又いつさんぱらりこ残り鬼と云つてゐる様な気がした。》pp109-10

 こういった何気ない心の動きを「おぼえている」、そしていま「書くべきものとして書いている」ことに半分感心して、半分は呆れてしまう。よくそんなことをおぼえていた/書いた。
「湖南の扇」は、友人だった芥川龍之介の最期の数日を回想したもの。1927(昭和2)年7月24日、百閒は出版社の人間から知らせを受けた。電話機の向こうの声が並べられる。
《「芥川さんがお亡くなりになりましたが」
 私は、どんな返事をしたか、ちつとも覚えてゐない。
「まだ御存じないと思ひまして」
「自殺なすつたのです」
「麻薬を澤山[たくさん]召し上がつて」
「左様なら」》p115

 こんな大変なときに、大変なときだからこそ、自分の返事をおぼえていない。いかにもそういうことはありそうだ。それでいて、「左様なら」をおぼえている。なるほどそういうこともあるだろう、そんな気がする。そしていま、ここに「左様なら」を書く。なんでだ。
「左様なら」のせいでこのやりとりの生々しさは3倍増しくらいになるが、そういう効果を狙って書き足したのではないだろうことは、この数行だけでも明らかである。百閒は、そうおぼえているから、そう書いた。
《芥川の家に行つて、奥さんに一言お悔[くや]みを述べた様な気がするが、はつきりした記憶ではない。目のくらむ様な空を眺めながら、ふらり、ふらりと坂道を降りて来た。往来に一ぱい自動車が列んでゐて、道が狭いから、うまく歩けない。道傍[みちばた]のお神さんが、「七十台来てゐるよ」と云つた声だけ、はつきり耳に這入[はひ]つて、「それは大変だなあ」と私は腹の中で感心した。》p115

 べつに百閒でなくても、おそらくだれにとっても、記憶はこういういいかげんな働き方をしているのじゃないだろうか。大事な出来事が大ごとすぎて扱いかねるせいなのか、頭のなかに定着しないことがあり、それでいて意識は敏感になっているせいなのか、些事ばかりこびりつくことがある。
 しかしそれらを振り返って書くときに、内容の大小を問わない記憶の定着具合を、大小を問わないまま書くのは、おそらくだれにでもできることではない。小さいことを忘れずに書いているからすごいのではなくて、大小に関係しない記憶のあり方が、個人の頭の中ではなく、だれにでも読める文章のかたちで保存されていることにおどろくのだ。それで、そのような文章を読むのは、他人の記憶のあり方をそのままなぞることになる。
 巻末解説によると「湖南の扇」は1934(昭和9)年の発表で、芥川の自殺から7年が経っている。そしてこう終わる。
《芥川は、煙草に火を點[つ]ける時、指に挟んだ燐寸[マツチ]の函[はこ]を、二三度振つて音をさせる癖があつた。
 芥川の死後、ふと気がついて見ると、私はいつでも煙草をつける時、燐寸を振つてゐた。以前にそんな癖はなかつたのである。又、芥川の真似をした覚えもない。
 亡友を忍ぶよすがとして、私はこの癖を続けようと、気がついた時に更[あらた]めて決心した。
 矢張り歳月は感傷を癒[い]やすもので、今、この稿を草しながら考へて見ても、私は燐寸の函を振つたりなんかしてゐない。いつ頃から止めたか、そんなことも勿論解らない。
 これで筆を擱[お]いて、何年振りかに、燐寸を振つて、煙草に火をつけて、一服しようと思ふ。》p116

 記憶にも層がある。だがその層はでたらめだ。過去の自分が何かを思い、それを忘れてから、忘れていた、と思い出す。順番に重ねられたままではなく、いつのまにか抜け落ちたり入れ替わったりしている思い出の地層の、この時点でのありようを百閒はこうしてひとまず書き留めた。最後のこの部分がさり気なくも大切な註釈に感じられるのは、これを書き上げて一服したあとも芥川の思い出は変化していくだろうことを百閒はわかっていると、読んでいるこちらにもわかるからだと思う。

「蓄音器」では、芥川とも百閒とも知り合いだった「黒須さん」が出てくる。百閒は漱石の没後、夏目家から蓄音器をもらい受けて夢中になる。その時期に訪ねてきた黒須さんに、午後いっぱい、ひたすら蓄音器のねじを巻いて曲を聞かせた。それから百閒は生活が苦しくなり、蓄音器もやむをえず質屋に入れたが、必死で利子を払い続け、5年くらいかかってやっと取り戻すことができた。
《座敷の真中に置いて撫で廻した。
 撚[ね]ぢを捲[ま]いて、蓋を開けて見ると、昔に変らぬ調子のいい囘転の、微[かす]かな音が聞こえてくる。それで手近の盤を一枚のせて見た。聞き慣れた旋律が、何年振りかに耳の底に甦[よみがへ]つた途端に、不意に涙があふれ落ちて、しまひには蓄音器の上に顔を伏せたまま、声を立てて泣き出した。》p138

 ふたたび黒須さんと対面したとき、かつての午後のことを話題に出しても、今度は話だけである。
《うつかり昔を思ひ出す様な事をして、眠つてゐる記憶をゆすぶると、そいつが目を覚ます拍子に、思ひ掛けない涙を押し出す事があるらしいから、黒須さんと昔の話はしても、蓄音器には手を触れないのである。》p138

 記憶が現在の自分に及ぼしかねない威力をこれくらい用心している人である百閒は、ひと一倍記憶にこだわる人でもあり、『鶴』のうしろ三分の一には、幼少期から十代後半まで、岡山で暮らした時代の思い出話がこれでもかというくらい詰め込まれている。それが「烏城追思」「郷夢散録」で、わざわざ地元岡山の新聞に発表していったという。
 尋常小学校の幼稚園に通うようになった最初の年、
《みんなと一緒に手をつないで、
   ひいらいた開いた
   蓮[はす]の花が開いた
と歌ひながら、段段後退[あとずさ]りして、輪を大きくしながら、
   れんげの花がひいらいた
と云ふところで、一ぱいに拡がり、
   開いたと思うたら、
   見る間にすうぼんだ
と云ふ時、急いで前に走つて輪をすぼめて、真中で先生の袴[はかま]に、どしんと頭をぶつけた。四十何年、風にさらした額の奥に、その時の温もりが、微かに残つてゐる様な気がする。》pp171-2

 これぐらいなら微笑ましいが、次第に「よくそんなことをおぼえているよな」という、おぼえている内容に対する感心と呆れよりも、「それをこんなふうに思い出して書こうとしている」という、思い出し方に対して、どうなっているんだという気持が大きくなってくる。
 小学校への通学路を思い出し、学校にあった講堂についても思い出すところ。
《溝を渡ると、右側は晒布[さらし]屋である。中島の磧[かはら]に乾した晒布が、日向[ひなた]に映えてゐた景色は、子供の時のおぼろげな記憶の中の、白い色の大部分を占めてゐる様である。
 晒布屋の前は荒壁の土塀で、それについて曲がる所は四つ角である。ついて左に曲がれば学校に行く道である。右に行くと向うは土手で、袋路になつてゐる。その中に、子供の時のなつかしい人がゐた事だけは思ひ出すけれども、辺りの景色計[ばか]り覚えてゐて、肝心の人の顔が解らない。口髭の生えた人のやうな気もするが、それも曖昧である。》p177

《その講堂の真正面に掛かつてゐた大きな額の字が、はつきり目の底に残つてゐる様な気がする癖に、思ひ出せない。邪魔をする薄い膜の様な物を拂[はら]ひのけようとしても、どうしても取れないのである。》p181

 通学路を書きながら、というか書くことでもって、頭の中に存在している道筋をたどり、しかし一部の記憶エラーのせいで行き止まりになっているかのような書きぶりや、記憶の中にはたしかに掛かっている額に脳内で目を凝らせば、じゃまな幕を払いのけてもっとよく見ることができるとでも言いたげな思い出し方。そんな思い出し方はふつうできないだろうに、「できない」ことを真面目に悔しがっている。
 ささやかなうえにもささやかな思い出の回想でありながら、正確さを求めるアプローチが妙なものに見えてくるこんな文章を読んでいて連想したのは、リディア・デイヴィス『話の終わり』(1995)である。こちらは語り手の「私」が、別れた男のことやその男にまつわる大小さまざまな事柄をえんえん回想し続ける小説ということになっているが、思い出し方という点で百閒の随筆と区別のないところがあちこちにある。
《彼の体に腕をまわすと、指先や腕の皮膚にまず触れるのは彼の着ている服の生地だった。腕に力をこめるとはじめて、その下にある筋肉や骨が感じられた。彼の腕に触れるとき、実際に触っているのは木綿のシャツの袖だったし、脚に触れれば、触っているのはすりきれたデニムの生地だった。》p48

《彼の車の中がどんなふうだったか、このあいだから思い出そうとしている。何か赤いものが見えるが、それが彼のチェックのシャツなのか、車にいつも置いてあった毛布なのか、それとも座席の色なのか、はっきりしない。古びた車に特有の、ひからびた座席の革や中の詰め物のむっとカビ臭いにおいがしたこと、そしてそれに重なるようにすがすがしい洗濯物のにおいがしていたのは覚えている。》p85
(岸本佐知子訳)

 あくまでささやかなまま常軌を逸していく両者の思い出し方は、どちらもそれぞれ思い出したい内容への執着の強さがなせる技だろうし、そしてまた、「触覚」や「見たこと」に負けず劣らず「におい」が重要になってくるのは百閒のほうも同じだった(というか、これはだれにとってもそうかもしれない)。
[…] 今でもワニスの臭[にほ]ひがすると、不意に小学校の時の事を思ひ出す。
 にほひは追憶囘想の媒介となつて、ワニスの他に、私は赤皮のにほひを嗅ぐと、忽[たちま]ち小学校一年生新入の折の事を思ひ出す。それは初めて掛けて行つた、新らしい鞄のにほひなのである。しかし、そのにほひから、次にどう云ふ事件を追想すると云ふ様な、はつきりした気持ではなく、何だかさう云ふにほひを嗅いだ途端に、もやもやした当時の雰囲気を身辺に感ずるのである。だから思ひ出としては、一層直截[ちよくせつ]な姿を再現する事にもなるのである。》p179

「アプローチが妙」「思い出し方がどうかしている」と書いてきた。リディア・デイヴィスにしろ百閒にしろ、そうやって書かれた個人的な上にも個人的な記憶を、国籍や時代の違うわたしが読むということは、そんな「妙」で「どうかした」努力でもってつかみ出された極私的な塊りをこちらに手渡されるということであり、本人にとって貴重なのはまちがいないにしろ、それを自己紹介もしていなければ知り合いでもないこちらに向かってこんなに無造作に譲渡してしまっていいのだろうかと、心配する気持まで生まれてくる。他人の回想を読むのがスリリングなのは、いつのまにか人の思い出し方を追体験しているということのほかに、この「わたしなんかがこんなものを受け取っていいんだろうか」という心配のためではないかと思う。

 ところで、「よくそんなことまでおぼえているよな」「それをよくこんなに思い出したものだな」というこちらの感想は、頭の中におぼえていることを文章として外に出す、という構図が前提になっている。それは自分の実感としてもそうなのだが、「思い出す」と「それを書く」のあいだの、重なっているようで開いている、開いているようで重なっている関係をどう考えればいいだろう。
「烏城追思」の一節を引用する。家から中学校へ通うのに渡し舟で川を渡っていた百閒は、よく渡守[わたしもり]の爺さんに頼んでシルキ― 事務用バサミ ハイネバノン はさみ BNT-185 シルキ? 事務用バサミ ハイネバノン はさみ BNT-185 日用品 生活雑貨 文具 事務用品 事務用品 送料無料を漕がせてもらっていた。ある朝、雨上がりで川が危険なほど増水しかけているのに「自分が漕ぐから」と無理を言って舟を出させた。そこに中学の先生も乗ってくる。
《荒手の波止は水をかぶつて、いつもの半分も水面に現はれてゐなかつた。それでもその内側には川波もなく、河心の荒れてゐる様子に比べて却[かへ]つて無気味な程静かな水が、ふくらんでゐた。土橋川は大川の水勢に押されて、逆流してゐるらしく、荒手の藪陰の暗い水面を、嵩高[かさだか]く浮いた枯木の根のやうなものが、ひたした影と共に静かに上手[かみて]に溯[さかのぼ]つて行くのが、ありありと見えた
 私は出来るだけ艪を押さへて、舳先[へさき]を殆[ほとん]ど河流に溯航[さくかう]する様に向けた。さうして、滑らかな水面を波止のすぐ下手[しもて]まで漕ぎ上つた。波止の背を越える水勢は、鬣[たてがみ]の様にささくれ立つて、繁吹[しぶ]きを飛ばしてゐる。私は少しづつ艪を引きながら、舟を縦に向けたまま、波止の外れの激流に乗り入れた。水の面が、波止から向うは、中高になつてゐるのが、はつきりと解る様に思はれた。舟の底を板で打つ様な音がして、黄色い波が砕けた。人の頭ぐらゐある大きな泡が、中流を筋になつて流れてゐる。その泡が舟底や舷[ふなべり]で潰れると、生生[なまなま]しい砂泥の臭[にほ]ひが、ぷんぷんにほつて来た。
 中流の波の高さは二三尺もあつた様な気がした。舟は波に揉まれ、流れに押されて、段段下つて行く内に、少しづつ私の手心で向う岸に近づいてゐる。私の少年時代の得意は、その瞬間を絶頂とする様である。青木先生は向うを向いて、ぢつとして居られた。》p169

 この見事な回想を、見事な回想(よくおぼえていて、よく思い出したよな)と言って済ませていいのだろうか。
 目で見た水面のふくらみ、鼻で嗅いだ砂泥のにおい、艪から伝わる水の抵抗などなど、そういった材料はもちろん頭の中にあったにしても、それらを「思い出しながら書いている」というだけではこの文章はおさまらず、「書きながら、書くことで思い出している」と付け足してもまだ足りない気がする。
 ここでなされているのが、思い出の、言葉による再構成であるのはまちがいない。構成という言い方をしたのは、百閒にとってこういうことを書くのは、自分の記憶を言葉で文章に仕立て直す作業だっただろうと想像するからなのだが、しかし「思い出す」と「それを書く」はそのままイコールではないはずだ。

 人は過去を言葉でおぼえているわけではない。材料となる思い出は書く前からずっと頭の中にあったにしても、言葉・文章としてしまっていたわけではないのだから、思い出が言葉になるのは、それを書いているときがはじめてだろう。
 言葉でなかったものを、言葉にする。思い出の再構成は、思い出をその場で、その都度、作り出すことではないか。
 だれにでも、いろんな記憶がある。それらの記憶は頭の中にあるかぎり、だんだん薄れていったりほかの記憶と混ざったりするにしても、「過去にあったこと」なのは変わらない。でも文章にされた記憶は、書かれた時点で(「過去にあったこと」として)あたらしく生まれている。
「過去にあったこと」を文章にするのは、あたらしい記憶の創作になる。そう考えると、回想と創作はほとんど重なってくる。先ほど少年百閒の舟が渡っていたのは、そんな回想と創作が合流して流れる川なのじゃないかと思う。
《土橋川は大川の水勢に押されて、逆流してゐるらしく、荒手の藪陰の暗い水面を、嵩高く浮いた枯木の根のやうなものが、ひたした影と共に静かに上手に溯つて行くのが、ありありと見えた。》

 そして、思い出を材料にして書くことが思い出を作ることであるいっぽう、そうやって作られたあたらしい思い出に合わせて、頭の中にあったはずの、もとの思い出も変わっていくだろう。書くことは双方向に作用する。
《中流の波の高さは二三尺もあつた様な気がした。舟は波に揉まれ、流れに押されて、段段下つて行く内に、少しづつ私の手心で向う岸に近づいてゐる。》

 思い出を書くことによって思い出が変われば、それを思い出すいまの自分も変わる。漱石の思い出を書くことがいまの百閒を支え、芥川の思い出を書くことがいまの百閒のふるまいに影響を及ぼす。漱石や芥川の思い出を書くことは、漱石や芥川の思い出を作り直し、作り変えることであり、そうやって思い出を作り直し、作り変えるのが、いまの自分を作り直し、作り変えることになる。
 つまりは、「過去にあったこと」と現在の自分との関係を、作り直し作り変えることが、思い出を文章にすることだと思う。

 そんな回想の文章の集大成として、この『鶴』冒頭2篇めの「長春香」がある。集大成というと言葉が大き過ぎるが、この小さな文章は、「長野初」という若い女性、《稍[やや]小柄の、色の白い、目の澄んだ美人》の思い出を書いたものである。
 三十代のはじめ、独逸語の教師としていくつかの学校をかけもちしていた百閒は、知人からの紹介でこの長野の個人教授をすることになった。自宅に日参させてスパルタ式の授業をおこない、長野もまたそれによく応えてどんどん進歩する。そんな思い出の合間に、いちど子供を亡くし離婚も経験していた彼女から聞いた、彼女のほうの思い出も混ざっていく。
《その話の中に、臺灣[たいわん]の岸を船が離れて、煙がなびくところがあつた。長野が船に乗つてゐたのだか、出て行く船を岸から見送つたのだか、私は覚えてゐない。子供の時の話の様でもあり、結婚に絡まつた一くさりの様にも思はれるし、何だかその時聞いた話は、全体がぼんやりした儘[まま]、切れ切れになつて、私の記憶の中に散らかつてしまつた。》p13

 そのうち百閒は、長野が両親と暮らす本所の石原町にあった家に招かれて、鳥鍋を御馳走になる。当日、百閒はあいにく胃が痛かった。そんな感覚を繊細な言葉に移していくその日の回想に、不思議なタイミングで「鳥の形をした一輪插(一輪挿)」が挟み込まれる。
《鍋の中を突つつき、骨をかじつた。骨を嚙む音が、その儘[まま]胃壁に響いて、痛みを傳[つた]へる様な気がした。笹身の小さな切れが咽喉[のど]から下りて行くと、その落ちつく所で、それだけの新らしい痛みの塊りが、急に動き出す様に思はれた。
 盃を押さへ、箸を止めて暫[しば]らくぼんやりしてゐた。壁際に長野の机があつて、その上に、今私がこの稿を草する机の上に置いてゐる鳥の形をした一輪插[いちりんざし]があつた様な気もするし、そんな事は後から無意識のうちにつけ加へた根もない思ひ出の様な気もする。》p15

 何のことなのか、読んでいるこちらに少しの謎を残したまま時間は大正の終わりの数年をまたぐ。そして――
《間もなく九月一日の大地震と、それに続いた大火が起こり、長野の消息は解らなくなつた。》p16

《焼野原の中に、見当をつけて、長野の家の焼跡に起[た]つた。暑い日が真上から、かんかん照りつけて、汗が両頬をたらたらと流れた。目がくらむ様な気がして、辺りがぼやけて来た時、焼けた灰の上に、瑕[きず]もつかずに突つ起つてゐる一輪插を見つけて、家に持ち帰つて以来、もう十一年過ぎたのである。その時は花瓶の底の上薬の塗つてないところは真黒焦げで、胴を握ると、手の平が熱い程、天火に焼かれたのか、火事の灰に蒸されたのか知らないが、あつくて、小石川雑司ヶ谷の家に帰つても、まだ温かかつた。私は、薄暗くなりかけた自分の机の上にその花瓶をおき、温かい胴を撫でて、涙が止まらなかつた。》p16

 わたしは百閒の文章はなるべくたくさん、なるべく長く引用したい(そのほうがこのブログを見に来ている人のためになる)と思っている人間だけれども、この前後1ページ、関東大震災の焼跡の様子と、のちに人から又聞きすることになったその日の長野の姿は、ちょっと書き写すことができない。それからも百閒は、竹竿の先に彼女の名を書いた幟[のぼり]を下げて〈綿混〉サラッとして動きやすい!アクティブな女の子のスポーツブラ♪ スポーツブラ ジュニアブラ ジュニア 綿混 キッズ 中学生 小学生 ルコック 150~165cm 150cm 160cm ハーフトップ 下着 ブラジャー 女の子 女子 ノンワイヤーブラ スポーツブラジャー スクール カップ付きインナー パッド付 ドライを歩いた。
 秋が過ぎるころ、長野を知る者たちを集めて追悼会が開かれた。その場で即席の位牌を作って長春香を焚き、闇鍋が始まる。肉も野菜もそのほかも鍋に投入され、酒が進むうちに、位牌を蒟蒻[こんにゃく]で撫でる者や、位牌も煮て食おうと言い出す者が現われ(後者は百閒である)、実際に位牌は折られて鍋に入れられる始末、闇鍋の中も、それを囲む座も、ごちゃごちゃになってしまう。
 でも本当にごちゃごちゃなのは、鍋よりも思い出のほうなのだ。
 長野の家の近くにあった煎餅屋も助からなかった。そこの跡取りは向島に出かけていたのに、地震のあとで燃える家の中に戻って焼け死んだ、という話を百閒は《長野から聞いた様な気がする》と書く。
《それで一家全滅したので、家の焼跡にお寺を建てて、殆[ほとん]ど死んでしまつた町内の人達の供養をする事になりましたと長野が話した様にまざまざと思ふ事があるけれども、勿論そんな筈はない。私は年年その小さなお寺の前に起つて、どうかするとそんな風に間違つて来る記憶の迷ひを拂[はら]ひのけ、自分の勘違ひを思ひ直して、薄暗い奥にともつてゐる蠟燭の焰[ほのほ]を眺めてゐる間に、慌ててその前を立ち去るのである。》p20

 ごく控えめに言っても、百閒が長野に特別な感情を抱いていたことは文章のはしばしからよくわかる。その気持をおもてにするためにこの文章は書かれたように見えるほどだ。彼女の思い出も、郷里や漱石や芥川の思い出も、かけがえなく大切なもののはずなのに、どうして記憶はこんなふうに《間違つて来る》のか。
 それは、おぼえている側が生きているからだと思う。思い出す側が生きているから、《間違つて来る記憶の迷ひを拂ひのけ、自分の勘違ひを思ひ直して》みても、どうしたって記憶は薄らぐし、変わってしまう。なかったこと、《根もない思ひ出》が無意識のうちにつけ加えられ、あったことが失われて、失われたことは、もう一度「あれを忘れていた」と思い出さないかぎり、ずっと失われたままになる。その全部は、こちらが生きているから起こる。
 だったら生きているほうは、文章を書くしかない。書くことで思い出が変わってしまういきさつも飲み込んで、思い出をおぼえておくためにも、思い出をおぼえている自分の変化を知るためにも、変わっていく思い出をはかなみながらまた作り直し作り変えるためにも、書いておくしかない。
 過去とは、なくなってしまったもののことだ(当たり前)。なくなった物やいなくなった者を、文章にするたびに更新し、思い出す自分を更新することで、その都度、なくなってしまった過去と自分の関係を結び直す。それは、なくなってしまったものをいまの自分といっしょにあらしめようとすることだろう。回想するのはそのためで、思い出を書くのもそのためなんじゃないだろうか。
 何が人にそういうことをさせるのか。動機となる感情の名前をわたしはひとつ知っているけれども、これだけ書いてきた上でなお、なんだか恥ずかしいのでここには書かないのである。




■ こういうことではない記憶のあり方については、リディア・デイヴィスの翻訳者でもある岸本佐知子の『気になる部分』に収録されている、「真のエバーグリーン」を読んでほしい。巻末近くのあの数ページには、現在の自分を支える過去の記憶というもののうち、大げさでも大仰でもないほうのすべてが書き込まれている。
■「漱石先生臨終記」と「湖南の扇」、「長春香」は、どれもちくま文庫の集成6『間抜けの実在に関する文献』に入っている模様。同じちくま文庫の『私の「漱石」と「龍之介」』では、タイトル通り、ふたりについての文章がまとめて読める。
 このようなことがわかるのは、こちらのサイトにあるこの文庫本目録のおかげである。最高。

 旺文社文庫の百閒、次は『凸凹道』です。

追記:
すぐ上で、岸本佐知子の書きものを「現在の自分を支える過去の記憶というもののうち、大げさでも大仰でもないほうのすべてが書き込まれている」と紹介したが、2020年の終わりに出た『死ぬまでに行きたい海』は「現在の自分、それって記憶のことである」と彫られた棍棒みたいな本であり、書く側のことも読む側のことも何度も殴ってくるような文章の塊だった。わたしは『死ぬまでに行きたい海』を、百閒に読んでほしいと思う。

      



■ 旺文社文庫『鶴』(1981)目次:

長春香
三校協議会
貧凍の記
翠佛傳
饗応
写真師
名月
八重衣
蘭蟲
井底雞
稲荷
面会日
秋宵鬼哭
濡れ衣
林檎
牝雞之晨
初飛行
饒舌
澤庵
雞声
軒堤燈
漱石先生臨終記
湖南の扇
忘れ貝
象頭山
口髭
狸芝居
録音風景
蓄音器
柄長撿校
柄長勾当
百鬼園先生言行録拾遺
烏城追思
郷夢散録
 來時ノ道 桐の花 杉鉄砲 学校道 謎 吹風琴 日清戦争 金峯先生 岡村校長 森作太先生 元寇の油絵 勇敢なる喇叭卒 先生の喧嘩 黄海の海戦 李鴻章 亥の子餅 串団子 油揚 大手饅頭
動詞の不規則変化に就いて

解説 種村季弘
「鶴」雑記 平山三郎